まいんどちゃねる

就職に悩み、個で生きる方法を模索しブログに出会う。 最近は昆虫食、メンズスカートにはまってます。

カテゴリ: まいんど

無題

みなさん、暇してますか?

暇って、けっこうマイナスに捉えられてしまいがちですよね。
予定がない=友達がいない、趣味がない、仕事ができない、みたいに。

でも僕は、暇人こそが最強だと思ってます。 

暇人は最強

というのも、暇人って、言いかえれば「いつでも行動できる」ってことだと思うんですよ。
急にチャンスが舞い込んできたときに、「予定がつまっていて飛び込めない」なんてことになったらもったいないです。

ですので、人生には暇という余裕が必要です。
だから僕は、なるべく予定は入れずに、突然のおもしろそうな誘いに迷わず行けるようにしています。

これを僕は『暇力』と呼んでいます。 僕はかなり暇力が高いです笑。


多忙なビジネスパーソンが多いこの日本では、暇というだけで稀有な存在なのです。重宝されるべきなのです。自信をもっていいんです。

その他大多数にならないためにも暇を極めましょう。

予定を入れたい人

最近、僕の周りにこんな学生がいたんですよ。

「夏休みは毎日予定を入れたい。手帳に空白があると不安になる」どこかの芸能人ですか笑。
まあ気持ちは分からんでもないですが、1ヶ月ちかく予定を埋めるってリスクありませんか? 

その間に他の誘いがあったら、どちらかを断らなきゃならないんですよ。

でも最初の予定を断るのはかなり申し訳ない。それは信頼問題にかかわること。

そもそも、そんなことを考えなきゃいけない時点で面倒くさい。

忙しさアピールは余裕のなさの公言

こちらもよくいますよね、SNSとかでやたら忙しいアピールをする人。

でもこれって、自ら余裕のなさを皆に公言しているだけだと思うんです。

時間に余裕がない人は、得てして心にも余裕がありません。自分から余裕がないと言っている人には近づきたくもありません。八つ当たりとかされそう。

女の子はだいたい、余裕のある男が好きです。(たぶん)
つまり暇=余裕のある男がモテるのです。(たぶん)

どんなに忙しいとしても、それをわざわざ報告する意味が分かりません。それだったら余裕ぶった方が絶対いいですよね。

暇になろう

おそらく、ずっと忙しかった人が急に暇になると不安に感じることもあると思います。真っ白な手帳とかあり得ない、みたいな。


でも、暇が続くと、自分の中でやりたいことが出てきます。心と体に余裕が出てくるので、今まで思いもよらなかったことに手を出し始めたり。

逆に、仕事が嫌だった人でも、暇になると仕事したくなったり。そうやって自分の意外な一面とかも見えてきて面白いです。


暇になるためには、仕事の時間や人間関係を最小限にする必要があります。そうして様々なものを断捨離することで、本当に大事なものが見えてきたり。

とにかく一回、暇になってみましょう。話はそれからです。

モチベーション2


外発的モチベーション

皆さんはものごとに取り組むとき、なにをモチベーションとして取り組んでいるか意識したことはありますか?


それはあらゆることが考えられます。「お金を稼ぎたいから」「人に褒められたいから」「あの人に勝ちたいから」等々。

このような動機づけは外発的動機づけ(モチベーション)』と呼ばれます。ある目標に向かってなにかに取り組むというものです。

このように人は、具体的な目標を思い描いて行動することが多いです。

内発的モチベーション

では、外発があるなら逆はあるの?ということですが、あります。それは『内発的動機づけ(モチベーション)と呼ばれ、行動自体に魅力を感じ、打ち込んでいる状態を指します。


つまり、『それをすること自体が目的』ということです。

一般的には、内発的動機づけの方が維持しやすいと言われています。
なぜなら、ものごとの遂行にあたって外部の要因に頼ってしまうと、その目標を達成した途端にやる気をなくしてしまうなど、報酬ありきの行動にとどまってしまうからです。

内発・外発、どちらがいい?

では内的的動機づけを目指す方がいいのか?

これに関してぼくは、内発、外発どちらも不完全であると感じています

それはなぜかというと、モチベーションに頼ること自体、そもそも大きなエネルギーを消費するからです。
外発、内発問わず、動機づけが必要な時点で大変な労力なのです。

習慣にしよう

ですので私は、そもそも動機づけがいらないくらいまで習慣化することが、最も無理なく、ものごとに取り組むことを可能にするのかなと思います。

習慣化して、無意識的になにかに取り組める域にまで持っていければ、自らの心的エネルギーを消費せずにいられると思います。

しかしながら、習慣化するにはそれなりの反復行動や意思が必要となるので、それまでの間はモチベーションに頼らざるを得ないというのが正直なところ。
それを乗り越えるのは大変な分、自らの成長に大きくつながると思います。

無意識にブログを書きたい

僕も現在、習慣を増やすことを頑張っております。

小さいところだと風呂上がりのストレッチ、そして週に2~3日のランニングなど。これらは完全に習慣化してます。やらないと気持ち悪いです笑。

そして、次に習慣にしたいのがこのブログですね。かなり自然に書けるようにはなってきました。もう少しだと思うなあ。


これは経験から言えることですが、一つでも習慣化に成功すると、ほかのことにも自信をもって習慣化しようと思えます。僕の場合、ランニングなどがあるため、ブログにも取り組めているのだと思います。

ですので、日々の生活に習慣がないという人は、ほんとに細かいことでいいので一つでも習慣をつくってみてください。

鏡の前で笑顔の練習とか、そんなんでもいいと思います笑。

大事なのは習慣を作りたいという意識だとぼくは感じています。

無題

今の世の中って、とにかくモノや情報がありふれていますよね。
得たいものはたいてい、すぐに手に入ります。

街に行けばなんでも手に入る。ネットで調べらればほとんどのことは分かる。
だからこそ、モノや情報を持つ人の価値が相対的に低くなっていると言っても過言ではありません

大事なのは、なにを持たないか

そんな中で大事になってくるのは、逆に『何を持たないか』であるとぼくは思います。

いえ、世界の流れとしてもう出来上がっているものかもしれません。

それもあって、近年ではシェアリングエコノミーが広まっているのでしょう。

車をシェアしたり、家をシェアしたり、時間をシェアしたり、と。

つまり、「自分で持ってなくても皆で使えばいいんじゃね?持ってる人から借りれば十分じゃね?」ってことですよね笑。

少なく、良く持つ

人のキャパシティには限界があるので、どんどんモノが増えていくとその管理に疲弊します。

ですので、『少なく、良く持つ』という価値観を持つ人が増えているんだと思います。

つまり、本当に必要なものを少しだけ大事に手元に置いておく、という価値観です。

そして持ってないものは、他の人に分けてもらう。まったく知らない人からであっても。


このような時代で大事になるのは、何を持たないかを見極め、本当に必要なものを手に入れる目です。感覚です。

当たり前のように必要だと思っているものも、よくよく考えたら要らないかもしれません。僕も一度、自分の生活を見直してみようかと思います。

他の誰かは必要としている

また、自分が要らないと思ったものでも、他の誰かしらは必要としています。だからそれもシェアすることで、他の誰かの役に立てることができるんです。


ぼくだったらメルカリを使って売ってしまったり、知り合いにあげてしまいますね。そうすることで不要だったものに価値が出てきます。

もらった人が得られる「もの」としての価値と、あげた人が得られる相手からの「感謝」という価値。

ものをあげることは一方にしかメリットがないと思われがちですが、実はwin-winなんですよね。これが分かっているかどうかの差は大きいです。

誰もがあらゆるものを得られるからこそ、シェアする側になれると、多くの人から高い評価を得ることができるのです。


だからどんどんものを手放して、シェアして、ついでに誰かから感謝されて、真に必要なことを探っていきましょう~。

無題




親は子どもの進路をしばって将来の選択肢を狭めるべきではないと思います。

なぜなら子どもにとって親の影響力というのは大きく、親の教えや示唆をそのまま真に受けてしまう可能性があるからです。

僕は結果として、親の望みに反発するような形になりましたが笑。

親と子は違う

「大学までは出てほしい」「どうか安定した公務員になってほしい」
このような親の願いはよく分かりますが、だからといって他の選択を否定したり、そもそも他の選択があることを示さないというのはどうかと思います。

たまに聞く、自分の果たせなかった目標を子に託すみたいな話がありますが、あれは親のエゴだと思いますね。

いくら血がつながっていても、親と子は違う生き物。
興味や価値観が違っていて当然です。


それなのに親の考えをぶつけられてもたまりません。

そして子どもが、愚直にそれだけを信じるようになってしまっては遅いのです。

もっと、子どもの自主性や興味、価値観を重んじた導きが必要かと思います。

あらゆる選択肢を示し、子がどんな道を選んでも尊重してあげる。
これが親の担うべき責任だと僕は思います。


そもそも、親の時代と子の時代は全く違います。昔は通用していた考え、やり方が、時を経て通用しなくなることはよくあることです。

親が子の才能をつぶすこともある

親に反発できないことや期待に応えたいなどという理由で、子どもが本当に好きなことを出来ないのはもったいなく、あるべき姿ではありません。

たとえば、ゲームが好きでそればっかりやっている子どもに対して、親は怒ったり止めたりすることがあるでしょう。

でも、止めることだけが正しい教育であるとは思いません。

そもそも、ゲーム自体が害悪であるという考えは間違っていると思いますし、偏見です。

今どきはオンラインゲームで他者とコミュニケーションをとりながらゲームをすることも可能ですし、クリエイティビティを発揮できるゲームもたくさんあります。

つまり、ゲームが人間形成に大きく貢献することだってあるのです。

プロゲーマーという職業があったり、ゲーム実況をして有名になっている人だっています。ゲームで稼げる時代になっているのです。


子どもの興味を伸ばす

ゲームを例に出して話ましたが、なんだってそうだと思います。


親の世代とは価値観も稼ぎ方も違うのです。あらゆることが将来、役に立つ可能性があります。

親はあらゆる選択肢を示すとともに、子どもが興味あることを伸ばす必要があります。

そのゲームのどこが好きなのか、目標はなんなのか、それを達成するために何が必要なのかなど、ゲームを通して子どもの興味関心を言語化してあげて、成長を促すことがむしろ大切でしょう。

時代は変わります。どんなことあっても、興味や長所を伸ばすことが最も大事になるのです。

男女

どうも、みねちゃんです。
今回は、『男らしさ』や『女らしさ』について考えていきたいと思います。


多くの人が一度は言われたことあるんじゃないでしょうか?
「男なら~しなさい」とか、「女の子なんだから~に振る舞いなさい」とかね。

でもそうやって、性別によって行動や言動を縛られるのって不自然だと思いませんか?理不尽だと思いませんか?ぼくは思います。

別に自分は自分だし、そんなステレオタイプにあてはめられても、知るか!って感じです。


らしさは幻想

ぼくは『男らしさ』『女らしさ』ってのは人がつくった幻想だと思っています。本当にくだらないこと。

それぞれがいろんな体つきをして、いろんな考えをもっているのに、性別という一つのカテゴリーで分けられたり片づけられたくない。


だからそんな凝り固まった価値観は、メンズスカートによってぶち壊しましょう。


思うに、性別が一番目に見えて表れやすのは服装です。服装ほど、性差を如実に示すものはないと思っています。

特にスカートは顕著です。『スカート=女子』というのは常識とすら言えると思います。

それゆえに、男がスカートを履くことには意味があると思います。常識を問いただすことで、「らしさってなんだろう?」と社会に対して問題提起をしたい。


だから男のぼくも、スカートを履きます。


たかがスカートを履くだけ

まあそうは言っても男がスカートを履くだけなんて、そんなたいそうなことをしていないのは確かです笑。

でも、だからこそよいこともあります。あまり堅苦しいことをしても、逆に社会には伝わらないと思うからです。
「なんかあいつ、変なことやってんな~」くらいに思われれば満足です。

しかし目標はあります。メンズスカートがかっこよさの象徴になることです。女子が履けばかわいい、男子が履けばかっこいい、こんなの素敵じゃないですか?
もちろん逆もまたしかり。少なくともぼくはかっこいいと思ってます!

現に、スコットランドのキルトとかめちゃめちゃかっこいいと思いますけどね。ゴリゴリの男とかがスカート履いてるんです。
てか、昔の戦士はけっこうスカート履いてるんですよ。ウォードレイダーとかね。ぜひ調べてみてください!

古代でなく、今の日本社会でも十分に広まる可能性はあると思います。なにせ多様性の時代ですから。


ということで、変なやつが変なことをして、社会を、価値観を変えようとしている。そんな感じなんで、これからもよろしくお願いします。

今日はおわり。

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