装い2

どうも、みねちゃんです。

最近、人がなぜ洋服を着るのかということを考えております。

そこで、一つ考えがまとまったのでブログに残していきます。



人はなぜ服を着る?

なぜ人は服を着るのでしょうか?

体を隠すため、暑さや寒さをしのぐため、いろいろあると思います。

しかし今や、そのような理由だけで着ることはあまりないのではないでしょうか?おそらく、他人に対して見せたいだとか、おしゃれを楽しみたい、気分が上がる、などといった背景がある人が多いと思います。

そう考えると服装は、その人自身の内面をあらわしていると言えます。

つまり服装とは、人が内側に抱いている感情や思考が外側に出てあらわれている、と言えると思います。人間が最も外側にまとう思考が、装いなのです。

思考を装う

人は服を着ることで、同時に思考を装ってもいるのです。

だから思考が自由であるのと同様に、服装も自由であるべきだと思います。

逆に服装をしばることはイコール、思考をしばりつけていると同じなのです。
それなのに、謎の決めつけで服装を制約することがあります。

たとえば学校の制服、男性はズボンで女性はスカートというルール。就活はスーツ限定、などなど。


TPOという言葉があるように、場所や状況によって着るべき服装があることは100歩譲って認めます。しかし、学校や就活という「個性」が重視される状況で服装のしばりつけをおこなうのはいかがなものでしょうか。

着ているものから読み取れる情報は多分にあるはずなのに、です。


「服装を自由にしたら統率がとれないし、荒れ放題じゃないか。」このような意見もあるかと思います。
でも実際、服装を統一しなければ集団がまとまらないという考えが根本から違うと思います。ここでいう統率とは「少数の人が多数の者を管理しやすい」というエゴです。

だからぼくは、学校の制服という思考の制約に反対するのです。

自由な服装、自由な思考

服装が自由であることは、すなわち思考が自由であることを示しています。

昔は、抱いた思想によって弾圧されたり罰せられたりした時代もありました。しかしそのような時代はもう過ぎ去りました。

それと同じように、服装の自由も認められていき、どんどん人は解放されていくべきです。

特にぼくは、性別によって抑圧される装いがなくなっていくことを望みます。